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Another Side of the Open Lecture
ゴンスケ


ゴンスケ会員の独白…CADと建築と我々の未来
<1999.11.27>


ゴンスケ会員は静かに、しかし熱く語ります

人の出合いの不思議さを…
挑戦することの醍醐味を…
そして
最終章
『Another Side』
我々は何をすべきなのか?
人として…

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序 章
第1章
第2章
第3章
第4章
第5章
第6章
最終章

出会い
悪巧みの実現に向けて
とんだハプニング
オープンレクチャ
おさかなさん
オープンレクチャが残したもの
オープンレクチャ・1999
Another Side

(編集責任:管理人)

■出会い

 1997年4月、僕は新しい授業『建築プロジェクト』で使う3次元CADを探していた。とりあえず動くのはPentium 120MHzのWindowsマシン数台とPower Macintosh 7600/200が2台で、予算もないので、Windows用の「マイホームデザイナー」を導入。一年生対象だから、とりあえず3次元の雰囲気を感じるだけでよいと思ったからだ。しかし、これでずっとやっていく訳にはいかない。そんなとき、DesignWorkshop Liteが無料でダウンロードできることを知った。DesignWorkshop自体については、古いバージョンが大学院に入っていたので触ったことはあったが、いかんせん当時のQuadraでは遅くて使い物にならなかった。雑誌でも紹介されていたこともあって強い興味はあったものの、本格的に使う気にはならなかったので、箱を描いて窓をあけて、グズグズと回して(グルグルとは動かない)遊んだだけだった。
 とはいえ、他の3次元CADもいくつか使ってみた経験から、デザインプロセスにおける思考や発想を意識した教育目的で使えるものは皆無で、DesignWorkshopに最後の望みを託していたことも事実であった。


 さてDesignWorkshop LiteをArtificeからダウンロードしようとして、何度も失敗した。たぶん回線状況が悪かったのだろう。数日間に渡って10回以上は試みたろうか、なんとかダウンロードに成功して、一年生に使わせ始めた。そんなとき3Dイノベイションズの井上さんという人から電話がかかってきた。「何度もLite版をダウンロードしようとしている奴が日本にいる。連絡取れ」とかなんとか、ArtificeのKevin Matthews社長に言われたとのこと(このときはまだ井上さんがオレゴン大学でKevin Matthews氏の研究室にいたことを知らなかった)。「ごめんなさい。いまのところ正規版買う金ありません。」

 一年生達はDesignWorkshop Liteでどんどん空間をつくっていった。そしてマイホームデザイナーより面白いと言う。壁床天井窓扉、そして家具や猫など身近な具体的オブジェクトが揃っていて、なおかつ音まで出てしまうマイホームデザイナーのゲーム的な雰囲気の方が一年生の段階ではとっつきやすいかと思っていたので驚いた。しかし、学生たちの使い方を見ていると、マイホームデザイナーの場合は窓や家具の置き方を工夫するだけ、つまりオブジェクトの配置に気を配るだったのに比べ、DesignWorkshopを使った場合は「空間」を発想しようとしていることに気づいた。これはDesignWorkshopを使わないわけにいかない。学生たちのモデルもLite版の100オブジェクトという制限の中では作成不能になりつつあった。

 後期も半ば過ぎて、なんとか予算を工面してProfessional版を導入した。
 一年生たちは、怖れを知らずどんどん作り込んでいく。これを通常の授業で使わない手はない。そこで次年度計算機室への導入を検討する。だが高くて買えない。教育を大事にしてくれる井上さんの尽力と、Kevin Matthews氏のおかげでアカデミックパック価格が設定され、可能性が高まった。いろいろな障害があったが、1998年夏、DesignWorkshop Professinalが50ライセンス導入されることとなった。

 導入に際して、井上さんとメールをやりとりするうちに、お互いの価値観や考え方の近さが強く認識されてきた。1998年9月、札幌でのDesignWorkshopセミナーを行うため、井上さんが来道、初めて会った。トトロとともにこの札幌セミナーに参加したが、それは、よくあるベンダーによるCADの機能紹介ではなく、<どうデザインすればよいか>ということについてのすばらしい講義であった。セミナーの途中、とつぜん井上さんから指名があり、僕も演台に引っぱり出されて、大学でやっていることを少し話した。そのとき、あることを思い出した。ちょうど北海道に来たころだから1992か3年ごろ、NiftyServeの建築フォーラムでDesignWorkshop成立の経緯や特徴を語る長い書き込みがあり、非常に強く共感した。その場で尋ねてみたら、その書き込みの主が井上さんだった。僕はすでに数年前に井上さんに出会い、その考え方に共鳴していたのだった。

 一方、青山先生には6年ほど前に特別講義で来ていただいたときに初めてお目にかかった。特別講義は建築設計におけるCADの使い方についてのもので、エリック・スローハンド・クラプトンのような鮮やかな手さばきと、あふれでる意味深い言葉の流れに、強い感銘を受けた。その翌年からCAD演習の非常勤講師をお願いして、毎週お目にかかるようになった。だからもう5年以上おつきあいさせていただいている。授業の休憩時間中の茶飲み話を通して気心は知れているし、何よりも自由闊達な考え方はたいへん魅力的であり、お願いしてでもお付き合いさせていただきたい存在である。それより何より、僕にとってはMiniCADの師である(だから安心しきっていて、いまだにうまく使えない)。

 札幌セミナーの翌日、井上さんが旭川の大学まで赴いてくれ、あらためてデモを行ってもらった。ここには、青山先生も参加。夜は地ビール館で盛り上がった。

 井上さんのデモを見ながら、ある重要なことに気づいた。僕たち(トトロ&ゴンスケ)が常日頃考えていることを、青山先生はMiniCADを使って話し、井上さんはDesignWorkshopを使って話している。僕の脳裏にとある悪巧みがひらめいた。
 僕は人に使われるのは嫌いだが、人を使うのは好きだ。

■悪巧みの実現に向けて

 世界にはいろいろな言語があり、人は偶然的要素により一つの言語を主体にして、話し、語る。だが違う言語で話していても、考え方が全く同じであることもある。そういう人を一同に会して、共通言語を使わせて対談させてみたらどうだろうか。考え方のベースは言語に依存しないことが分かるのではないだろうか。


 実際には使う言語によってway of thinkingはたしかに異なってくるだろうが、言葉の底にある部分の共通性は引き出せるであろう。

 <青山先生がMiniCADで話す。>
 <井上さんがDesignWorkshopで話す。>
 <だが、聴衆の目の前にはひとつの結果が現れる。>


 「公開講座を開いて人々を集めて、その眼前で、リアルタイムでひとつの建築空間をつくりあげてみてはどうだろうか。数時間の公開講座の中でリアルタイムのデザインを行える道具はCADしかないし、CADを使うことで、デザインプロセスにおける考え方の重要性が明瞭に見えてくるはずだ。」
 また、いまこの大学における教育の中で圧倒的将来性とアドバンテージをもつもののひとつにCADがある、と僕は考えている。トトロもそうかもしれない。それを外部に知らせることは、僕たちの強い希望である<CADの円滑な利用>に繋がるだろう。トトロと築き上げてきたCAD教育を通して知ったCADの絶対的アドバンテージを示すことによって、将来の建築はよくなるに違いない。

 大学で教鞭をとる者の思い上がりか、とにかく啓蒙したくてしょうがないのかもしれない。でも世界の建築空間を、都市空間をもっともっとよくしたい、そのことを通して世界の人々が平和で満ち足りた人間生活を送れるようになってほしい、そのために働きたい、それが僕の夢であるし、いろいろな補助を受けながら研究の世界に存在させてもらっている人間の社会的責務でもある。

 世はインターネットの世界である。大半の連絡をメールでやりとりして、企画を練り上げていった。僕の頭にあったのは、とにかくひとつの建築空間を二人で同時につくりあげていくことでしかなかったが、議論の中で、青山先生から「コミュニケーション」、井上さんから「シミュレーション」のキーワードがだされ、これらを支配的なテーマに据えた。

 大学の授業との絡みで、学生たちにDesignWorkshopやMiniCADで何ができるか、それらをどのように使えばよいかを知ってもらうことも目的のひとつであった。したがって、トトロに『CAADを取り巻く現状の整理と未来像』、井上さんに『3D CAD/CGで繰り広げられる建築設計シミュレーションの世界』、青山先生に『CADのCAD乗』というテーマで、まず基調講演を行ってもらい、後半でコラボレーションを行ってもらうことにした。

 だんだん内容が確定してきた。コラボレーションのお題は『住宅地にたつユニバーサルデザインのSOHO』である。
 当初は旭川で開催するだけのつもりであったが、井上さんの希望で札幌でも開催することにした。また、せっかく井上さんに来てもらうので、レクチャ前日の2D-CAAD演習でDesignWorkshopの講義を行ってもらうことにした。

■とんだハプニング

 レクチャ前日は、2D-CAAD演習の日でDesignWorkshopを始めることになっている。井上さんは朝一番の飛行機で東京から旭川へ来る予定だった。
 僕は他の講義があったため、トトロが空港へ迎えに行った。授業が終わってみると、学務課の人が「井上さんが飛行機から降りてこない。そもそも乗っていなかったようだ」とのトトロからの伝言を伝えてくれた。そうこうするうちにトトロも大学にもどってきた。3Dイノベイションズに電話してみたが、井上さんからは何も連絡が入っていないとのこと。


 井上さんの身になにが起こったか全く分からなかったため、授業は止むなく休講、翌日のオープンレクチャに振り替えることとした。訳がわからずトトロの研究室で、トトロ、青山先生と僕の3人で対策を練っていたところ、昼前になって学務課から「井上さんが来られた」と。慌てて玄関まで迎えに行く。何も連絡がなかったから、事故にでも遭っのではないかと心配していたので、「ごめんなさい!」と明るい井上さんの顔を見て一同ほっとした。

 井上さんは、渋滞のため羽田空港到着が遅れ、ちょっとのタイミングで予定の便に乗り遅れたため、すぐに次の便を手配してから「1時間送れる」と大学に連絡を入れてくれたそうだ。この連絡が直ちに僕たちの耳に入らなかったのだ。なぜなら僕は講義の最中、トトロは出迎えため空港にいるという最悪の状況だったから。井上さん到着後30分ほど経ってから、「井上さんが遅れる」というニュースが耳に入った。

 さて、学生たちに講義をしてもらうことが不可能になったため、急遽5コマ目に自由参加のセミナーを行っていただくことにした。
 とりあえず昼食を食べてから、オープンレクチャの準備にとりかかった。
 その内容は、部外秘である。

 夕方のセミナーでは、学生の一人が、井上さんもあっと驚くモデリングを見せた。円弧ツールを利用した直角三角形作成と、壁作成でマイナスの数値を入れ外側に壁をつくる方法である。
 その夜は、みんなで辛いカレーを食べた。

■オープンレクチャ

 翌日はオープンレクチャ旭川会場当日。
 朝から会場設営ほか準備を始める。
 午後1時30分、スタート。


 僕は司会者という名のタイムキーパー役であるが、大切なことを忘れていた。演台に上がる3人とも、話し出したら止めるのが大変であることを。頭の中にいろんなことが溢れている3人なのである。
 案の定、第1部基調講演は30分ほど長びいたが、とても面白く聴衆は聞き入った。ちょっとした休憩の後、第2部コラボレーションを開始した。

 コラボレーションのテーマは『住宅地にたつユニバーサルデザインのSOHO』であり、まず青山先生による敷地や空間構成設定、井上さんによるボリューム作成というような手順で進んでいく。ところが進むにつれ、あの饒舌な二人が無口になっていく。スクリーンに映し出されたお互いの作業状態を見ながら、黙々とデザインしている。
 互いに相手が創り出す空間を瞬時に判断し、自己のデザインに反映させていく。これがコミュニケーションだと強く感じる時間であった。このようなコミュニケーションにおいては、言葉は不要なのだ。そして、これは、コンピュータとCADがもつ、アイディアを視覚化するスピードがなければ不可能なことである。

 僕自身も司会進行を忘れ、スクリーンに見入ってしまいがちだった。
 予定より1時間以上オーバーしてコラボレーションは終わった。

 「安心して井上さんにデザインを委ねられたから、僕は自分のやるべきことが分かり、それをやった」というようなことを青山先生がおっしゃられた。ほとんど会ってすぐにコラボレーションをやったというのに、このような印象を得られるということ、そして事実として起きたということ。これこそが『CADが拓く建築デザインの未来』のあり方ではないか。

 その夜の飲み会は、とてもとても盛り上がった。
 翌日は札幌会場で開催。参加者は30名程度と少なかったが、旭川が予行演習となって、スムーズな進行であった。会場はやはり熱気に包まれた。懇親会には、北海道東海大学の卒業生たちが参加した。テーブルの一角では卒業生たちが井上さんとデザインやスキーについて語り合い、別の一角では「東の国の姫」をおじさんたちが取り囲んでいた。

 旭川へ帰る急行の中、トトロと僕は充実感と昂揚感に包まれ、この企画の成功を缶ビールで静かに祝った。

■おさかなさん

 12月に、3Dファン倶楽部部長のおさかなさんが札幌へ来られるとのメールが入った。まもなくクリスマスという頃、おさかなさんと、札幌の鈴木さん、トトロ、青山先生、卒業生数名と飲み会。おさかなさんと建築デザインの未来について語り合った。こういう人が3Dファン倶楽部の部長さんならば、日本の3Dの未来は明るい。
 このようにして、僕の1998年の冬は3Dな冬、雪さえなければ心底から幸福な冬であった。この冬の旭川は最悪であった。

■オープンレクチャが残したもの

 オープンレクチャが残したもの。
 <それは計り知れない未来への期待である。>
 しかし、そんな観念的なことばかり行っていたのでは食いっぱぐれてしまう。


 レクチャで青山先生が作成したSOHOの空間構成をそのまま授業の課題とした。同じ空間構成であるが、数十名の履修学生からは全く異なる空間が提出された。人が異なれば生まれる空間が異なることは当たり前だが、それが当たり前になっていない現実を憂えると同時に、授業への3次元CADの取り込みの重要さを再認識させられた。作品は後日、Kevin Matthews氏からも、課題の方法論自体を含めてお褒めの言葉をいただいた。

 そして年度が開け、新しい3D-CAADの授業が開始された。ここでは、MiniCADとDesignWorkshopと使う。オープンレクチャのコラボレーションで起きたことを、学生たち個人個人の中で行ってもらう課題をつくった。これもなかなかの成果で、CADのポテンシャルを再確認できた。

■オープンレクチャ・1999

 オープンレクチャ第1弾終了時の昂揚感や充実感とともに、おそらく全員が「まだまだできる」という大きな可能性に気づいていた。だから第2弾の開催は暗黙の了解でもあった。1999年夏、井上さんからの一通のメールが引き金を引いた。そのメールの前に、井上さんと僕はデザイン教育のあり方に関するいくつかのメールを交わしていた。その中から第2弾のテーマが明示的に浮かび上がってきたのだった。
 そして、今後も続けたいという気持ちを込めて『オープンレクチャ・1999』と銘打つことにした。



 さて、ここから後は、
青山先生トトロによるレポートをどうぞ。


 おそらくオープンレクチャシリーズは、第3弾「オープンレクチャ・2000」をもって完結するであろう。そして2001年は3Dファン倶楽部長おさかなさんたちの尽力と活躍によって3次元CAD元年となり、「CAD」と言えば3次元CADを指すようになるだろう........。

■Another Side

 オープンレクチャ開催の背景には、建築教育においてどのようにCADを位置づけるかということ、2次元CADしか普及していない実務に3次元CADを取り込むことの有効性などを検証してみることなどがあったのだが、これは一般論としての背景に過ぎない。すでに言い古された言葉「汝自身を知れ」あるいは「私とは何か?」


 そして当然のようにわきあがる疑問<なぜ自分はこの企画に力を注いでいるのだろう?>

 今年のオープンレクチャの朝まで、僕は、司会者としてレクチャのイントロダクションを行わなければならないことをあまり意識していなかった。あまり深く考えず、いつもアドリブでものごとをこなそうとする悪癖があるからだ。当日朝トトロの研究室に集合し、Power Bookで遊んでいたのだが、下準備に忙しいトトロと井上さんを見ていると、僕もなにかやらないわけにいかない雰囲気だった。それに、他の3人はコンピュータを使いながら話すのに、自分だけ使わないというものカッコ悪い。だからイントロダクションで話すべきことをPowerPointで作り始めた。

 そこで初めて意識された。
 「そうか! CADとは歴史を変える道具なんだ。」
 閃いたのであるから一瞬のことだが、幸い僕はプログラム言語をかじったおかげで自分の閃きを分析できるようになっている。仕事柄、ついつい何でも教育と絡めて捉える癖がこびりついてきていて、このレクチャも基本的にはCAD教育の延長上として認識していた。しかし、話はそんなに短絡的なことではなかった。レクチャ開催の2週間ほど前、計算機室の番場さんから機関誌Packetに本学科のCAD教育について書く機会をいただき、オープンレクチャの企画を進めながら原稿を執筆していた。そのときには明快になっていなかったことが、この一瞬ですべて解けたような気がする。自己分析の結果、それは多分、こういうことであると思う。

                *************

 「近代はすでに終わりつつあるにもかかわらず、近代主義的価値観は社会に人々に強く残っている。人々は近代的正しさを振りかざし、近代主義的理想や理念という亡霊にとりつかれたまま、未来を見ようとしていない。かりに未来を見ようとしていても、未来とは明るいものであるべきなのに、暗い未来しか思い描かない人が多い。」

 「未来は自分の手でつくるものである。待っていてもやってこない。待つだけであれば、それは確かに暗いものと思ってもやむを得ないだろう。」

 「待つ姿勢のとき、人は無意識のうちに伝統や因習の中に浸かっている。」

 「伝統や因習というのは、人を安定させるものである反面、人を固定し自由を奪うものでもある。近代は終わった。近代的伝統も因習も、過去のものにしなければならない。」

 「産業革命を思い出してみよう。科学技術が、社会を、文化を、生活を変えたではないか。いま僕たちの身の回りの科学技術で、未来を変えられるものがあるはずだ。認知科学者ドナルド・ノーマンがコンピュータのことを<人を賢くする道具>と言っている。そうコンピュータは未来を変えられるのだ。」

 「しかし建築においてコンピュータは何かを変えてきたろうか。経済主義的な意味での省力化、効率化は進んだかもしれないが、それは産業革命時と同じく手作業を機械作業に置き換えたことにすぎない。CADがこのままでは、CADの使い方がこのままでは、産業革命時と同じく、機械作業の弊害しか現れず、未来は暗いものになってしまうかもしれない。」

 「近代が僕たち建築に携わる者に遺してくれたものは何だろう。それは空間でしかない。様式の呪縛から逃れて、科学技術と新しい社会や生活を謳歌することによって生まれたのが、空間という考え方。空間をつくるためには空間を考えて判断しなければならない。3次元CADは空間を見せ、考えさえてくれる道具だから、近代の遺産を正しく受け継ごうとするとき、僕たちが使う道具は3次元CADしかありえない。建築家は図面を語ってはいけない。空間を語らなければならない。それはプロとプロの間でもプロと素人の間でも同じことだ。図面描き道具は捨てて、空間づくり道具を手にしなければならない。そして、空間を喋ることが必要なのだ。」

 「そんな意味で、僕は、コミュニケーション革命をもたらし明るい未来をつくる道具として3次元CADを見ている。」

 「究極的にはコミュニケーション革命が必要であり、それに対してコンピュータが果たす役割はあまりにも大きい。そのためにオープンレクチャを催し、コンピュータがもつポテンシャルを知ってもらい、円滑な革命を目指そうとしているのだ。」

 「また近代建築は空間を優先させるあまり、それを結晶化するような動きを示してしまった。結晶化、つまり時間の固定である。そう、近代社会は時間をも物質化してしまった。時間は物質ではない。だから時計で計れるようなものではない。未来の建築は時間を取り戻していなければならない。」

 「それをデザインするためには3次元CADが有効だ。ここにも3次元CADの優位性がある。」

 「こうして僕たちの子供たちに明るい時間をつくってやることができるだろう。」

                *************


 ほとんど思いつきで決めた『CADが拓く建築デザインの未来』というタイトル。1年以上を経て、その意味がやっと読み解けたように思う。

 実は僕はこの4月に初めて父親というものになった。それ以来、我が子に美しい地球、美しい人間生活を伝えてやるために自分には何ができるだろうか、と常に自問している(でも行動を起こすのは難しい)。そんなことも、僕の閃きの強い要因だったろう。

1999.11.27 ゴンスケ記す


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