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空間構成論レポート
張彦芳
ゴンスケ


ゴンスケ会員が感動したレポート
<2000.2.14>


ゴンスケ氏は大学で空間について教えているようです。

ゴンスケ氏の講義を受けた学生さんのレポートをご覧下さい。

(編集責任:管理人、検閲:ゴンスケ)

発端:管理人宛のメールから

空間構成論』の課題レポートで素晴らしいのが出てきました。現在デザイン学科1年、中国からの留学生の張彦芳(ジャン・エンファン)さんのものです。

課題

講義内容に基づいて、機能と形態の関係のあり方について論じてください。

レポートはメールによる提出です
(ゴンスケ注:いまどき紙でレポート提出させる大学なんてあるの?)


差出人 : yanfang Zhang
宛先 : <takahara@da.htokai.ac.jp>
送信日時 : 2000年 2月 2日 水曜日 9:08 AM
件名 : 建築における形態と機能について


空間構成論レポート

建築における形態と機能について
   −−窓のはなし
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  張 彦 芳

建築にはある意味で、必ず窓がついている。それは建築の内部に造られた世界と、外部の環境すなわち社会との結合点でもある。窓は建築の一要素であるが、それは空間の生成に大きな力をもっている。したがって、このレポートは窓の話を巡って展開する。

レポートの仕組み:

  1. 形態と機能−−形態と機能の関係の総説
  2. ”風の目”と”光の壁”−−西洋の窓と日本の窓の違う
  3. 水平連続窓と縦長窓−−科学技術時代の窓
  4. すこし機能主義の話し−−モダニズムとある意味曖昧の傾向
  5. 心の窓−−まとめる


1.形態と機能

 デザインの世界でいつも問題になるのは「機能的であるようにデザインす べきなのか、それとも美的満足を与えるようにデザインすべきなのか」とい うことである。もちろん、両方を同時に満足すれば一番よいであるが、それ も一番不可能なことである。デザインする時、必ず機能と形態のどちらによ る。

 形態とは主観性の強い概念である。形態の美の概念や性質は、時代によっ て、また地域、民族によって、色々ある。’美は見る人の心の持ち方、感じ 方にある’とは一つの考え方に過ぎない。すべてを律することが出来ない。 それに対して、機能とは客観範囲の概念で、ある目的を達成させる性質であ る。この性質は時代によって、地域によって、あまり変わらない。例えば、 ペンの基本機能は字を書く。この役割はどんな国でも、どんな時代でも同じ である。もちろんペンでものをさすとか、背中がかゆい時、背を掻くことも 出来るが、これは補助的な機能である。背を掻くだけのためにペンを買う人 はいないと考える。

 建築物や道具では、いつも機能性が求められてきたとも言える。機能は第 一性であるが、逆に言うと、形がなければ、何も・・・美も快適も機能も環 境も・・・生まれない。どんなものでも、必ず機能と形態という二つの性質 を持っている。この二つの性質は一つものの二つの側面である。両者は同時 存在、相互対立、相互依存である。その中では機能は第一性、形態は第二性 だと考える。機能と形態の対応関係は一対一ではなく、複数の対応関係を持 つ。ひとつの形態はいくつの機能を持つ、それに対して、ひとつの機能に合 わせて、たくさんの形態が生み出す。その色々な複雑な対応関係の中には、 相互排斥のエレメントも存在する。

 例えば窓の場合、「窓は煙り出しから始まったといわれている。住居のな かに、火を持ち込めば、その煙を逃がさなければならず、住居の頂部に孔を あけるのが最もよい方法である。そしてその孔から光がこばれ落ちる。これ は採光の始まりである。」(参考文献2の中保坂陽一郎先生の話による) 窓は最初の意味で、窓を開けることという言葉よりもっと単純な言い方は、 壁に孔を穿つという言い方であろう。この孔は基本的に換気と採光の二つ機 能を持っている。この意味で、窓は大きくすれば、便利であろう。しかし、 構造上の話しは別として、古代の窓はもう一つの機能として、防御の目的で ある。外部の様子をのぞむ、内部を守るので、開口部を広げることと守りを かたくすることは常に矛盾することである。この時、複数の機能の中で、一 番大事な機能の要素にしたがって、形態を決める。採光と換気より、命を守 ることはもっと大事なことで、窓は小さくて、高くするわけである。現在み たい窓が大きく、そして地上に近い所に付けられるようになるのは防御の必 要の少なくなった証拠である。

 光を取り入れ、空気の入れ替えを行ない、そしてまた外の様子を見る。こ うした窓と基本的な役割は、洋の東西を問わず同じである。しかし文化によっ て、環境によって、窓の構造は違う、この違うによって、形態も違う。これ は世界中さまざまな形態の窓は存在するわけであろう。

2.”風の目”と”光の壁”

 日向進氏によれば「英語の窓=windowは wind + ow すなわち”風の目” に原意があるとされるが、”建築工事の歴史は強度をおとさずに大きな窓を つくるための絶えざる努力の歴史であった”という組積造の西洋建築にあっ ては木造骨構法に比べると気密性が高いので、隙間風が自然に入ることは少 ない。そこで”風の目”をあけることによって、通風、換気が図られたであ る。」ということである。(文献3)石やレンガを積み上げて壁を作り、そ の上に屋根を掛けて、内部空間を作り出す構造の場合は、壁自体が重要な構 造体である、壁は厚く、どっしりと丈夫でなければならない。出入口や窓の ためにあける孔が、構造上の弱点になる。そこから壊れやすいのである。と はいっても、出入口や窓のない建築では困る。そこで、できるだけ小さくす る。窓の上にまぐさとか、アーチを作っても、アーチの 幅は限界があるか ら、 どうしても縦に長くなる。

 この縦長窓の歴史を見れば、必ず合理的な機能を持つわけである。中世の ヨーロッパには、山賊や野盗のたぐいが徘徊し、窓から陽光や風ばかりでな く、矢も飛びこんでくることがあった。それに対抗して、侵入者を退散させ る場合、縦長の窓は弓を構えて、矢を放つ動作に合い、しかも敵から狙いが 付きにくい。この場合、縦長窓のほうが有利である。

 日本の”まど”は”間戸”あるいは”間処”であるという。日本建築は” 柱と梁の間を小壁や建具で埋めるという方法をとる、つまり窓を開けるので はなくて、もともと空いている所を仮にふさぐ”という構法によって成立し た。”間戸”、”間処”といわれるゆえんである。明障子を建てた”間処” は壁面に穿たれた孔でけしてなく、むしろ光の壁と感じられたことであろう。 (参考文献3)

 日本や中国は柱を立てて、梁を掛けるものので、どうしても横長に自然に なるわけであるので、水平方向の開口という特徴を持っている。西洋の垂直 方向の開口部と際立って対照的なのである。

 日本窓の発達の歴史の始まりは中国建築から受け続いでいる。最初の連子 窓は、連子が光を採りいれ、人や動物の侵入を防ぐ。連子の隙間を大きくと れば、光をたくさん入り、外の様子がよく分かるが、防御の力は弱くなる。 そこで、破子れい窓呼ばれるものに改良されていく。これは三角形の断面を もった連子で、鋭角の方向を外に向ける。それで、隙間を小さくても視野は それほど減らず、外からなかがうかがいにくい。固定された連子窓はやはり 人の生活にとって不便である。柱梁で作られた枠の中に長押などを入れ、そ の中に開閉できる部品を取りつける。これは建具と呼ばれるもの、開口部の 建具を上下二つに分け、上部は突き上げ(支窓)、下部は必要に応じて取り 外す(摘窓)。日本の茶室の窓はいろいろある。佗びた感じをあらわす為に 竹をたんに釘で止めた竹連子、民家の塗り残しの壁の孔から着想されたとい われる下地窓、床に近く、低い位置にあけれられ風炉先窓は、手元の採光と 換気の両面の役割を果たす。上部から光が欲しければ、屋根に突き上げ窓を 切り開き、内部空間の光と影の関係を一変させる。また、ここから明月を望 むことができる。このような自由な発想は日本建築の中に重要な位置を占め ていく。(参考文献2)

 東西方の窓は比べて見ると、すぐ分かるように、かなりさまざまな形の窓 はその機能の要求にしたがって、すこしずつ変わってきた。この形態の流れ の中で科学技術は重要な役割を演じる。科学技術の発展によって、機能に合 わせて最適化された形態が採られることができる。素材と構法の増加によっ て、機能と形態の関係づけの自由度も増えてきた。同時に複数の機能は満足 されることも可能になってきた。矛盾するエレメントもうまく調節すること もできる。

3.水平連続窓と縦長窓

 産業革命以来、”鉄とガラス”の登場によって、開口部の取り扱いは、そ の新しい素材、技術への熱狂的な傾倒を見せて、きわめて新鮮なものを生み 出している。大切な外光を室内に採りいれることによって、開放的な空間を 作ったのは、注目すべきことである。技術を主体として獲得された新しい空 間は、人々に新しい生活の仕方を触発した。日常的な都市空間は変貌してき た。このような”鉄とガラスの建築”によって、獲得された光に満ちた内部 空間がさまざまな建築の中で新しい空間として展開していく為には、いくつ かの先駆の作品が必要であった。窓の話しをめぐって、オーギュスト・ペレ とル・コルビュジェをあげることができる。二人とも近代建築の巨匠である が、おもしろいのはル・コルビュジェの開口部は壁の左端から右端までの水 平連続窓である。これは人に動くように促す”軽やかに動き廻りつつ空間を 隅々まで確認する”。人間像が見えて来る。これに対して、ペレは床から天 井までを開口した。この縦長窓は静的で、”立ち止まって周囲を眺め廻す” やや取り澄ました人間像が想起される。

 この明瞭の対比は、窓の形状という範囲を超えている。建築の想像力のと くに”部分と主体”さらにそこでの”人間像”といった基本問題に関わる重 要な相違を垣間見せるのである。

 越後島研一先生は水平連続窓と縦長窓について色々研究しました。ここで、 先生の話を聞いてみましょう。参考文献4)

窓は、内部に”人間のための空間”があることを証す点で、建築の本質的 要素だと言える。縦長窓は人を立ち止まらせ、外を眺める位置を指示するだ ろう。”窓、それは人間なのだよ”という言葉には、建築形態の中に人間像 を位置づけて構想する想像力が見える。縦長窓は通常は一階分の高さが限度 だろう。立ち止まり直立する一人の人間に対応する意味から逸脱しないので ある。いかに巨大な建物となっても、そんな効果を持つ、縦長窓の反復が、 立面をつくる限り、みる者も自分の位置づけを確認しつつ内外を歩き、全体 を捉える事ができるだろう。

 水平連続窓は、縦長窓とは全く違う表現可能性を持つ。白い矩形壁面の端 から端までを機械的に開口したような、いわば”最大幅とする”意図だけが 目立ってくる。水平連続窓だけで表情が決定される意匠に近づくのである。 水平連続窓が成長することで、意匠的斬新さはより強力に実現されて行く。 そして立面の幅全体を横切る巨大窓は全体と直接に関わる効果を持ち、大き くなるほどに、ペレが重視していた”窓、それは人間なのだよ”という効果 は消えて行く。革命的建築像には人間のイメージが重なり難いのか。あるい は全く別の”人間と建築形態との対応”や質的に異なる構成や位置づけが読 み取れるのだろうか。

 ル・コルビュジェはこう嘆いている。窓は”家の中で最も抑圧された器官 である。”重要なことは彼は窓のことを要素というより器官と呼んでいる。 つまり窓は何にもまして、目としてあるのだ。”成就しようではないか。こ れは光の供給者なのだ・・・ここから、家の本当の定義が現れる。つまり、 床の板、活動の舞台というものだ。・・・この周囲にあるのはすべて、”光 の壁”でいい。”光の壁”!!しかるに、窓についての考えは変わるだろう。 これまでのところ、窓の機能とは、光と空気を供給し、視線を通すものだっ た。しかし、こうして分類された機能のうち、ただひとつだけが残されねば ならない。つまり、視線を通すということだ・・・ドアの外を見ること、身 をのりだすこと”。

4.少し機能主義の話し

 ル・コルビュジェは近代建築の巨匠として、名前は常にモダニズム、機能 主義などとつながっている。彼の有名な近代建築の5原則は、モダニズムの 支柱となる形態上の理念は機能の美学(マジン・イメージ)つまり、1)機 能を持つこと、2)機能遂行のための合理的な構造をもつこと、3)普遍的 に機能を遂行すること。と違う角度で近代建築の特徴を述べた。

 機械文明の発展によって、機能と形態の関係は建築巨匠達にとってとても 重要な話題になった。ルイス・サリブアンの”形態は機能に従う”。フラン ク・ロイド・ライトの”形態と機能は一つである”ミース・フアン・デル・ ローエの”Less is more”。アドルフ・ロースの”装飾は罪悪である”など いろいろ有名な話しが出てきた。

 前に述べたように、科学技術の進歩におかげて、形態と機能の対応の自由 度は増加してきた。これと同時に形態と機能の意味も段々曖昧になってきた ことも事実である。

 窓についてみると、近代建築の歴史の中には、外壁と窓が一体化し、両者 の区別がなくなっていくというより、むしろ窓が壁の中に吸収されていく過 程に気づく。この理由の中には、光を通さない、壁が変質して、もし光を通 すとしたら、室内はどんなに明るく快適になるであろう、という願いが秘め られている。壁は外部と内部をはっきり区切るものであり、内部の世界をそ こに確立してくれるものであるという考え方がその基盤にある。そのように、 音や空気を遮断してくれて、なおかつ光を通す材料の発展が、窓を消減させ 外壁に吸収させる力となったわけである。同様トップライトの世界も次第に その発生時から離れて、ベルな空間を作り出していく。そこには、トップラ イトも窓も、あるいは外壁も屋根もない。透明なシェルターでもいうべきだ ろう。考えてみると、やはりもともとの意味の窓に戻りたい。その窓は人に とって、本当に大事なものである。(参考文献1)

5.心の窓

 窓についていろいろ話しました。いったい窓は私たちにとって、どんなも のであろう?保坂陽一郎先生の話は最後のまとめとして聞いてみましょう。 「人は窓がなければ生きられない。窓があるということは生きている。外界 を見ることであり、聞くとであり、その空気を肌に感じることである。外界 がもし見たくもなく、聞きたくもなく、そして空気を入れたくもないとした ら、それは人にとって不幸であり、そのような外界を作り上げたことを深く 反省しなければならないだろう。外界が人にとって、平和であり、愛に満ち ているものであれば人はその窓を開く。人がもし外からその窓を見れば、心 を通じることができよう。そのようにして、窓は大切にされていく。」

 ここで、日本のまどは”窓”という字で書く意味が分かった。なぜという と、そこに心があるだろう。

 以上。

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※ゴンスケ注:?と思って張さんに尋ねたところ、中国では、「窓」ではなく、「窗」を使うそうです。

参考文献:

  1. [空間の演出・窓] 保坂陽一郎 著
  2. [日本の窓] 日向進 指導
  3. [窓のはなし] 日向進 著
  4. [建築形態論] 越後島研一 著
  5. [マスメデイアとしての近代建築」ビアトリス・コロミーナ 著
  6. [西洋建築の様式] 鈴木博之 編

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後書き:

 このレポートは最後まで形態と機能という主題はだんだんうすくなってきたでしょう。形態と機能は本当に難しいことだと思います。とくに建築の形態と機能。私にとって、建築は新しい分野ですので、このレポートはどこから、ど んな風に書くのが全然分かりませんでした。時間のぎりぎりまで頑張ったけれ ども、やはり足りないところはいっぱい残っています。

 レポートの最後の話しは私はとても好きな話しです。自分は同じ意味の言葉 を書きましたけれどもこれを見たら、これこそ私は本当に言いたいものですが、 自分がうまくできませんでした。これは言語の障害ではなくて、文章の表現能力です。やはり保坂陽一郎さんの言葉はそのまま使いました。これは本当に悪いと思いますが、レポートのなかにはこのような文章の言葉をたくさん使いま した。

 最後、空間構成論の授業を受けて、私にとって、二つの収穫があります。一 つは私の考え方は前よりちょっと柔らかくなってきた、すこしでもとても大事な進歩です。もう一つは、前に、建築は私にとって、全く関係ないものでし た。

 その中の素晴らしさとか、感心すべきものとか、ぜんぜん分かりませんでした。

 この授業の関係で、私はやっとこの素晴らしい世界に近づくなってきた。これから、世界を見る視野は広くなりました。いつも前においている無生命な建物はみんな生きていることが気づきました。これはとても嬉しいことです。

 ここで、ありがとうございました。

 デザイン学科 張 彦 芳
 2000年2月1日

お願い by ゴンスケ
コラムの中に、このレポートを掲載するにあたって、
張さんから皆さんへのお願いがあります。

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「ぜひ、みなさんのご感想・ご意見を、聞かせてください。」

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喫茶室もしくはゴンスケ宛にみなさんのご意見・ご感想をお寄せください。

よろしくお願いします。(ゴンスケ)

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